【連載 第1回】露店の秋葉原 — すべては闇市から始まった
東京ラジオデパートの75年を、全6回でたどる連載です。
焼け跡から立ち上がった露店たち
1945年、終戦。焼け跡の東京では、人々が生きるための商いを路上で始めました。ターミナル駅の周辺には闇市が生まれ、やがて統制の緩和とともに、さまざまな露店街へと姿を変えていきます。
秋葉原駅の周辺に集まったのは、ラジオ部品を商う露天商たちでした。
なぜラジオだったのか。当時、ラジオは庶民が世の中の情報を得るための生命線でした。しかし新品のラジオは高嶺の花。人々は部品を買い集め、自分で組み立て、壊れれば直して使いました。真空管、コイル、コンデンサ——部品ひとつひとつに需要があったのです。
「作る人」たちの熱気
秋葉原の露店には、もうひとつの追い風がありました。近くの神田・小川町界隈には電機学校(現在の東京電機大学の前身)があり、電気を学ぶ学生たちが部品を求めて集まったのです。
軍の放出品、進駐軍経由の部品、解体された機器から取り出した中古部品。出どころも品質もさまざまな部品が路上に並び、それを目利きして買っていく客たち。「探しものは秋葉原の露店で見つかる」——そんな評判が、戦後わずか数年で定着していきました。
いま私たちが「ジャンク文化」と呼ぶもの——動くか分からないものを目利きで選び、直して使う楽しみ——の原型は、この時代の路上にすでにあったと言えるでしょう。
繁栄の中の不安
露店街は活気にあふれていましたが、その足元は不安定でした。路上での商いは、あくまで仮の姿。天候に左右され、商品の保管もままならず、そして何より「いつまで続けられるのか」という不安が常につきまといました。
その不安は、1949年に現実になります。GHQによる露店撤廃令——路上の商人たちに、立ち退きの時が迫っていました。
しかしこの危機こそが、東京ラジオデパート誕生の引き金になるのです。露天商たちを束ね、新しい「家」を作るために奔走した男、露店街組合代表・山本長蔵。次回は、彼と露店撤廃令の物語です。
この連載は、公式サイトや公開資料に基づいて構成しています。連載一覧はお知らせ・読みものから。
