【連載 第2回】露店撤廃令と山本長蔵 — 行き場を失った露天商たち
東京ラジオデパートの75年をたどる連載・第2回。第1回はこちら。
1949年、退去命令
戦後の混乱が少しずつ収まり、都市の再建が本格化する中で、GHQと行政は路上にあふれた露店の整理に乗り出します。世に言う露店撤廃令です。
道路は本来の交通のために。都市は計画的な再建へ。大義はありました。しかし路上で生計を立てていた商人たちにとっては、生活の基盤そのものを失う宣告です。秋葉原のラジオ部品露店街も、例外ではありませんでした。
積み上げてきた常連客との関係。仕入れのネットワーク。「秋葉原に行けば部品がある」という評判。それらすべてが、立ち退きとともに霧散してしまうのか——。
束ねる男、山本長蔵
このとき立ち上がったのが、露店街組合の代表を務めていた山本長蔵でした。
彼の考えは明快だったと伝えられます。散り散りになるのではなく、皆でまとまって、屋根のある「常設の市場」を作る。路上の集積が持っていた「ここに来れば揃う」という価値を、建物の中にそのまま移すという構想です。
言うは易く、行うは難し。土地の確保、建物の資金、行政との折衝、そして何十軒もの露天商の利害調整。どれひとつ取っても簡単ではありません。それでも山本らの奔走は実を結び、秋葉原駅前・総武線の高架際に、露天商たちの新しい家が建つことになりました。
1950年2月25日
こうして1950年(昭和25年)2月25日、東京ラジオデパートが誕生します。木造2階建て、入居した店はおよそ33店。日本で最初の、電子部品・電子機器パーツの「専門デパート」でした。
「デパート」という名前には、時代の空気が写っています。百貨店がハレの場だった時代に、部品の店が集まってひとつの「デパート」を名乗る。そこには、路上から屋根の下へ移った商人たちの誇りと、「部品の世界の全部がここにある」という自負が込められていたのではないでしょうか。
興味深いのは、同じ時期の露店整理を機に、秋葉原駅のガード下にも電子部品の商業施設ラジオセンターが生まれていることです。危機に直面した露天商たちの受け皿が複数生まれ、それらが競い合うように育っていったことが、後の電気街の骨格を作りました。
ひとつの排除の政策が、結果として日本最大の電気街の「常設化」を促した——歴史の皮肉と言うべきか、商人たちのたくましさと言うべきか。
次回は、産声を上げたばかりの木造のデパートが、高度成長の波の中で育っていく時代を追います。
